インタビュー | ーアートがつなぐ医療と心ー   山口大学医学部附属病院 病院長 松永和人様
2026.02.09 Report/Column

インタビュー | ーアートがつなぐ医療と心ー
山口大学医学部附属病院 病院長 松永和人様

病院という場所は、医療を受ける場であると同時に、多くの不安や緊張、そして人生の大きな節目に立ち会う場でもあります。山口大学医学部附属病院では、そうした人の営みに寄り添う存在として、長年にわたりホスピタルアートを大切に育んできました。

今回のインタビューでは、院長先生に、ホスピタルアート導入の背景や、医療の現場においてアートが果たしている役割、そして「再生(Regeneration)」というテーマに込めた思いについてお話を伺いました。治療技術や機能整備だけでは語り尽くせない、“人にやさしい医療空間”をつくるための考え方が、言葉の端々から感じられます。

聞き手 : 吉田 (アートプレイス)

早崎真奈美《ときをつなぐたね》|《 Seeds of Time 》|C棟外来診療棟 1F外来エントランス 天井(2025年)[撮影:表恒匡]

語り手 : 山口大学医学部附属病院 病院長 松永和人様

■ アートが人と人をつなぐ力を持っていることを実感した

吉田 : 病院という場所は、医療を提供する機能だけでなく、多くの方が不安や緊張を抱えて訪れる場所でもあります。そうした中で、先生がホスピタルアートを導入しようとしたお考えをお聞かせください。

院長 : 本院でホスピタルアートに本格的に取り組むきっかけとなったのは、2014年度から始まった病院再開発整備事業です。国立大学病院としては初めてとなる2回目の大規模再開発で、医療機能の更新だけでなく、病院全体の在り方を問い直す必要がありました。

吉田 : 建物が新しくなるだけではなく、「どんな病院でありたいか」という姿勢そのものが問われるプロジェクトだったのですね?

院長 : まさにその通りです。2015年には、エレベーターホールの壁面で「タングラム」の共同制作ワークショップを行いました。患者さん、ご家族、職員が一緒にピースに色を塗る体験を通して、アートが人と人をつなぐ力を持っていることを実感しました。この経験が、新病院A棟、そしてB棟・C棟の改修へと、ホスピタルアートを継続的に導入していく大きな流れをつくったと感じています。

レリーフ作品《動き出す》 640枚の絵でつくる10点のタングラムのためのワークショップ, 末永史尚 (2015-16年)

レリーフ作品《動き出す》 640枚の絵でつくる10点のタングラム 末永史尚| C棟 新中央診療棟3F 廊下 (2022年) [撮影:谷康弘]

レリーフ作品《 Gradation Forms -めぐる花々- 》高橋美衣|C棟外来診療棟 1F-3Fエスカレーター(2025年) [撮影:表恒匡]

■ 「あなたを大切に思っていますよ」というメッセージを伝えたい

吉田 : 高度医療を担う大学病院だからこそ、医療以外の要素をどう位置づけるかは、とても重要なテーマだと感じます。

院長 : 本院は山口県で唯一の特定機能病院として、地域医療の「最後の砦」を担っています。医療技術や安全性の向上は当然ですが、それだけでは十分ではありません。患者さんやご家族が、少しでも安心して過ごせる療養環境を整えることが必要だと考えています。

吉田 : 医療行為では直接カバーできない部分ですね。

院長 : そうです。医療だけでは満たしきれない、心の安らぎや生きる力を支える部分があります。アートには、そうした領域をやさしく補完する力があると感じていました。空間全体から「あなたを大切に思っています」というメッセージを伝えたい、という思いがありました。

■ アートは気持ちをやわらげ、治癒力につながる心の支え

吉田 : 医療の現場におけるアートの役割について、もう少しお話を聞かせてください。

海外では、アートが「注意散逸(ディストラクション)」、つまり病気に向き合う気持ちを一時的に別の方向へ向ける役割を果たすと言われています。そうした効果を感じられることはありますか?

院長 : はい、まさにその通りだと感じています。患者さんはどうしても、病気や治療のことを考え続けてしまいます。その中で、廊下を歩いているときや待ち時間に、ふとアートに目を向けることで、ほんの一瞬でも気持ちが別の場所へ移る。その数分が、実はとても大切なのだと思います。

1分でも5分でもリラックスできる時間を持つことで、病気や治療への向き合い方が変わったり、ご家族との会話や行動の選択肢が変わってくることがあります。アートは直接治療を行うものではありませんが、来院者を取り巻くストレスを包み込むように和らげ、前向きな気持ちや治癒力につながる心の支えになっていると日々実感しています。

レリーフ作品《芽吹く》/《budding》(10点連作)鈴木初音|B棟 1F 廊下(2024年) [撮影:谷康弘]

吉田 :患者さんの反応はどうでしょうか?

院長 : ホスピタルアートは、患者満足度の向上に確実につながっていると感じています。たとえば、A棟のアートを掲載した絵本を、出産された患者さんにお渡しした際には、「出産した時のことを思い出しながら初心に戻れる気がする」「あの時間を振り返ることができる、素敵なプレゼントですね」といった温かい言葉をいただきました。アートが単なる装飾ではなく、記憶や感情に寄り添う存在になっていることを実感した出来事でした。

■ 働く人・学ぶ人・患者さんへのエンカレッジ

吉田 : 患者さんやご家族だけでなく、病院で働く方々や学ぶ立場の方にとっても、アートはどのように受け止められているのでしょうか?

院長 : 病院の中には、患者さんやご家族、職員、実習中の学生など、本当にさまざまな立場の人がいます。夕方、仕事で疲れた職員がアートの前でしばらく立ち止まっていたり、少し落ち込んだ様子の学生が作品を眺めていたりする姿を見かけることがあります。無機質になりがちな病院の廊下にアートがあるだけで、「ほっとする」「心が安らぐ」という声を聞くことも多いですね。

加えて印象的なのは、アートが院内での「目印」として自然に使われている場面です。実際に、「A棟のモザイク壁画の前で待ち合わせましょう」といった会話が聞こえてくることがあります。患者さんやご家族が、アートをひとつのランドマークとして認識し、安心して行動されている様子を見ると、アートが空間にしっかりと根付いていることを感じます。

まど・みちおの詩『空気』によるモザイクタイルアート 渡邉良重 |A棟1Fエントランス (2019年) [撮影:阿野太一]

吉田 : ウェイファインディングとしての役割も、結果として生まれてきているのですね。

院長 :病院はどうしても構造が複雑になりがちですが、アートがあることで場所の特徴が分かりやすくなり、人の動きもスムーズになります。それだけでなく、患者さん同士や患者さんと職員の間に自然な会話が生まれるきっかけにもなっています。アートが院内の雰囲気をやわらかくし、人と人をつなぐ媒介になっていると感じます。

デジタルアート《Daily Codes [365++]》石井栄一 |C棟 新中央診療棟1F クロスラウンジ (2023年) [撮影:谷康弘]

■ アートを通して病院を社会にひらく

吉田 : 今回のB棟・C棟リニューアルでは、「再生(Regeneration)」がアートのテーマでしたが。

院長 : 病院の再開発は、10年以上の時間をかけて進めてきた大きなプロジェクトです。「再生」という言葉には、回復、活性化、変化といった意味を重ねています。患者さんが治療を通じて回復していく姿と、病院そのものが再開発を通じて生まれ変わっていく姿、その両方を重ね合わせたテーマだと受け止めています。

医療は、これまで積み重ねてきた伝統や知識を大切にしながらも、社会や時代のニーズに応じて変化し続けなければなりません。大学病院は敷居が高い存在だと思われがちですが、これからはもっと社会に開かれた存在であるべきだと考えています。アートを観るために病院を訪れる、そんな関わり方があってもいい。そのための土壌づくりとしても、今回のアートプロジェクトには大きな意味があると思っています。

実際に、感謝祭やマルシェといった取り組みも、職員からの「やりたい」という声をきっかけに始まりました。トップダウンではなく、現場の前向きな動きを後押しすることが、結果として開かれた病院づくりにつながっていると感じています。

金子みすゞの詩をテーマに、山口ゆかりのアーティストによる平面作品を設置。
(上段左より)《貝と月》三浦光雅  | 3F, 《お日さん、雨さん》臼杵万理実 | 4F,
(下段)《土と草》土谷寛子 | 6F (2024年) [撮影:谷康弘]

■ 地域に根ざした病院でありたい

吉田 : 今回のプロジェクトでは、山口ゆかりのアーティストや詩人の作品が多く採用されています。地域性を重視された理由を教えてください。

院長 : 山口県を代表する医療・研究機関として、地域に根ざした病院でありたいという思いがあります。アートにおいても、山口をテーマにした作品や、山口にゆかりのあるアーティストに関わっていただくことを大切にしました。

また、金子みすずやまど・みちおといった詩人の世界観は、多くの方にとって心に残るものです。そうした作品が、患者さんやご家族の不安な気持ちをそっと包み込み、親しみや誇りにつながっていけば嬉しいですね。

《re-pixcells》mole^3 | B棟1F クロスラウンジ (2024年) [撮影:谷康弘] /山口情報芸術センター[YCAM]の協力により、山口大学写真部員が山口の自然や地域性をモチーフに撮影した写真を使用したデジタルアート

■ 「アートを通して何を実現したいのか?」を見つめ直す

吉田 : 最後に、これからホスピタルアートの導入を検討している病院の方々へ、改めてメッセージをお願いします。

院長 : ホスピタルアートの導入は、医療機能や医療環境をさらに豊かなものにし、患者サービスの質を高める大切な取り組みだと感じています。ただ、最初に大切なのは、「アートを通して何を実現したいのか」という目的を、しっかりと見つめ直すことだと思います。

本院の場合は、「生きる喜びを伝え、生きる力を高める励ましや癒しを創出すること」、そして「利用者にとって親しみが持て、緊張感がやわらぐアメニティ性の高い空間をつくること」を目的に掲げてきました。これは患者さんだけでなく、働く職員にとっても、安心して力を発揮できる環境づくりにつながっています。

 

吉田 : アートは決して特別な人のためのものではなく、病院に関わるすべての人に静かに作用していく存在だと感じます。

院長 : その通りですね。アートは、地域や施設と人をつなぎ、病院を単なる医療の場ではなく、地域医療の「安心」と「未来」を育む場所へと導いてくれます。これから導入を考えている病院の皆さまには、ぜひ自分たちの病院らしさや地域性を大切にしながら、無理のない形で一歩を踏み出していただきたいと思います。その挑戦は、きっと多くの人の心に届くはずです。

吊り彫刻作品《ときをつなぐたね》を納めた早崎真奈美さんと病院長 C棟外来診療棟エントランスにて (2025年)  [画像提供:山口大学医学部附属病院]

(2025.11月収録)

 

吉田祐美  [アートプレイス株式会社 取締役 アートプロデューサー]

日本社会事業大学 社会福祉学部卒業。人々の生活環境を形づくる学校、病院、民間企業、再開発、公共事業とアートを融合し、アートのもつ多様な力を社会に織り込むことを大切に、パブリックアートのディレクション・プロデュースに30年、多くのプロジェクトに従事。近年10年間は、福祉や医療分野でアートワークの効用をいかし、患者に癒しや生きる力をあたえること、病院としての患者サービス向上・スタッフの病院への帰属意識、スタッフとのコミュニケーションツール、さらには地域とのつながりを目指し、多くのホスピタルアートのプロジェクトに携わる。